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暗い大きな穴 

大地に大きな穴
どこまで深いのか暗闇で分からない。
ぽっかりと空いた空虚への抜け穴?
黄泉の国への入り口?

ときどきどこかの男が、女がこの穴を通ってどこかへ出かける。
誰も帰ってこないのは
どこかの世界に行き着いたのか?
どこにも行き着けずに空間の中をさまよっているのか
のぞけど、すかせど何も見えないことに変わりはない。

そんな寺山修司によく出てくる穴をふと思い起こしている。
なぜそんなことを思い起こしたのか?
私は何を思っているのか?

ともかく大きな暗い穴が目の前にある。

本朝聊斎志異 

小林恭二の「本朝聊斎志異」を読む。どうも中国に「聊斎志異」という本があるらしい。この日本版という形か?

狐や狸、鬼(ゆうれい)、閻魔大王から孫悟空まで異界のものたちが人間たちと繰りなす短編の数々が書かれている。

現実とは関係ないながら人間の欲やら情やらを、現代では描かない方法で表している。科学が発達しない時代にはこのような人間の描き方が普通だったのかもしれない。現代人から見ると、ある意味何の根拠もないつまらない戯言。

これは時代遅れの書き方でありながら、現代とは異なる方法で人間を描いた物語。こんな物語の方法もあるんだよとわれわれに思い出させる物語だ。

そして現代の客観的、科学的方法では描ききれない何かをわれわれに提示しているのかもしれない。それがこの本のおもしろさではないだろうか?

異世界 

いま小林恭二の「本朝聊斎志異」を読んでいる。短編説話集のようなもの。出典があるのかないのかは知らない。ただ狐やら鬼(ゆうれい)やら、閻魔大王やらが人間界に出てきて、人間界との接点をいろいろ作っていく。あまりはやらない題材かもしれない。

なぜこんな本を今頃書いたのか不思議に思う一方、やはりこういう話はおもしろい。何となく読み進んでしまう。

先日は唐組の「黒手帳に頬紅を」をみた。
炭鉱労働者の権利を保障する期限切れになってしまった手帳を巡る物語。手帳を握りながら最後はユートピアを夢見て幕切れ、この幕切れが何ともいえず感動的なのは未だに不思議だ。
唐の作り出す感動のパターンに乗せられてそのパターンにはまって、つまらない所作に感動させられてしまう。分かっていてついつい惹かれて観にやってくる。

昨日はSPACで鈴木忠志、高田みどり、真言声明の会SAMGHA(サンガ)による「羯諦羯諦 行く者よ、去り行く者よ」を観る。基本的には高田みどりの打楽器と声明の音の世界。
しかし、そこの舞台空間には一つの宇宙が現れたような気がした。暗い闇の中に響く木、水、金属などの音と、地声で響く声明の声、不思議な世界がそこに広がり、曼荼羅を思い出したり、果ては唐組の世界、小林浩二が描いた世界が思い起こされた。

高田みどりが今の世の中は西洋音楽の音のみになってしまって、日本に元々ある音が消えてしまいつつある。そんなことを言っていたが、我々の社会もどんどんどこかに偏りつつあって、人の心の中の広がりが薄くなってしまっているような気がする。

もともと60年代から80年代という鈴木忠志などがアングラの旗手と言われていた時代はまだそういう言葉が飛び交っていた。既存の権威や体制に対する反発が学生の政治運動からしてそれを体現していたのではないかと思う。今や時代は大きく変わってしまったが、人々は今という場所に安住している。われわれは今自分たちが観ている世界の見方以外にも別の見方がいろいろな形であり得ると言うことを自覚していないといけないように思う。

七輪陶芸2009-5 

今回も失敗。
火ぶくれ発生。
もっとゆっくりと温度を上げないと結晶水が含まれたまま焼き上がってしまうのだろう。温度が上がったところで結晶水が遊離してくる。そのために火ぶくれができる。
このような課程でもっと昇温時の時間をとってみようと思う。

温度計を買うか試行錯誤するかどちらかしかないようである。

穴窯でも温度管理が難しいようだ。
昇温時は灯油やガスで火力調整をするという記事がネット上にあった。

慎重にあくまで慎重にだ。

七輪陶芸2009-4 

前回火力不足だったようなので、ほとんど通常のペースで焚きあげる。
七輪の修復の影響はなく、通常ベースで焼けることが判明した。
しかし一方火ぶくれもかなり出てしまった。次回はドライヤーからの風送りに工夫を入れる予定。